Infinity recollection

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東京侵域:クローズドエデン 01.Enemy of Mankind (上) (角川スニーカー文庫) [感想]

東京侵域:クローズドエデン 01.Enemy of Mankind (上) (角川スニーカー文庫)

 

絶望で彩られた世界の中で、希望となるボーイミーツガールを描く。「消閑の挑戦者」や「ムシウタ」でお馴染みの岩井恭平先生の新作。突如として人類の敵が現れたことで東京は侵入不可能の怪物たちの世界となってしまう。主人公は東京に閉じ込められた幼馴染を救い出すべく隔絶された世界への侵入を試みるけれど、その中にあったのは荒廃した東京と人類の敵であるEOMの姿だった――というのがあらすじでしょうか。「黒の契約者」や「ラーゼフォン」や「ペルソナ」が一番最初に思い浮かんだのですが、とにかく物語がゲーム的であり、ダークネスな雰囲気が肌にまとわりついてきます。ショットと呼ばれるアイテムを使うことで、エリア内でのみ特殊能力を発動できるだとか、ショットはEOMがボスキャラだとすると雑魚キャラになる敵が落とすだとかはまさにそうだろうし、エリア内ではそれら人類の敵が動き回っているので遭遇してしまったら戦闘になるみたいなところも。ただ、ダークだ絶望だと言っているのはEOMがまさしく人類の敵に相応しいほどに強いからだ。それこそ、エンカウントしてしまったら死が確定されているほどに強い。一応は弱点や特性があることは見受けられるのだけれど、特殊能力を使おうが何しようが全く倒される気配がない。逆に主人公たちは修復ショットがなければ何回殺されているか分からないし、事実作中では脇役の脇役ではあっても数多くの人が死んでいく。出会ったら死を覚悟させるし倒せる気配のないEOMという存在。「モンスターハンター」だと複数同時討伐クエストなんてものがありますが、一撃でライフ根こそぎ持っていかれるドラゴンがそこらじゅうを歩いていて、出会ったら追いかけられるし攻撃しても倒れる気配はなく回復できるのは3回だけみたいな無理ゲーを強いられている気がしました。そういう意味でも東京は絶望の世界だけれど、主人公たちは各々の目的のために絶望の世界の中から一握りの希望を取り戻すために戦う姿は格好良い。

 

主人公側にも色々な制約を課していたりするところは「ムシウタ」ですし、EOMにも特性を設けているところから活路を見出そうとする部分は「消閑の挑戦者」を髣髴とさせて著者らしい作風になっている。同時に、本作が上巻であることを鑑みても世界観と設定がしっかりと作りこまれていることが自然と伝わってきました。何故、主人公たちがエリアに侵入しようとするのか、そうさせる理由をキャラクターの内面を掘り下げながら描くので、生い立ちから人格形成まで納得しながら読めるのは大きい。小説を読んでいると、ときたま主人公の言動が意味不明で理解不能かつ難解である作品が見受けられるけれど、本作の主人公の言動には一定の重みがある。それはしっかりと人物を描いてくれているからだろうと思う。また、世界観についても歴史を勉強するように過去を何度も描写することで読み手に作中での日本の現状を想像させようとしているのが伝わってくるし、それを考えると数年前なら発売できたか怪しい作品だとも思うので様々考えされる作品でもありますね。

 

学生が学生の領分で必死に頑張れる範囲を超えてしまうことはあるけれど、そこは大人の領域なのかもしれないけれど、学生や子供にだって意地と覚悟はあるのだし命よりも大切なものがある。世界観は暗黒然としてますが青春の青さを感じ取れる作品に仕上がっているし、基本となるのはボーイミーツガールなのですよね。

また、キャラクターとして主人公の兄が登場するのだけれど、主人公は己の力のみに頼るしかない学生なのでエリアへの侵入などアンダーグラウンドな方向を模索していくが、兄は政府機関に就職するという正攻法で状況を打開しようとしますし内情を探ろうとする切れ者。この二人の対比についても軸としながら物語が進むので、レイダーサイドと救務庁サイドと表裏一体となっているのがこれまた読み応えがあって面白い。楽しみにシリーズになりそうですし、上下巻構成だということからも出版社の本気度合いを感じることが出来ますね。

 

 

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS) [感想]

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS)

 

高性能アンドロイド・アリスが普及した未来。人間とロボットとの交流を描いていく作品なわけだけれど、語られた物語はタイトルの通りに終盤になるまで真相を分からせない丁寧な作りで優しくて儚い悲劇となっている。愚者とは果たして誰を指した言葉なのだろうか。冬治のことだろうか、ロザのことだろうか、あきらのことだろうか。はたまた人間のことだろうか、アリスのことだろうか。ジグソーパズルの全ての欠片をそろえ終わったときの達成感はときに絶望感と似ている。本作も全ての欠片をそろえ終わったとき、後悔と寂寥感に満ち満ちて知らずにいた方がきっと幸せだったろうと思うことだろう。その行いはまさしく愚者だった。けれどそれは知るべきことであり、心が締め付けられても後悔することは分かっていても愚者であり続けて感じ取るべきものだった。

 

作中でアリスとは何なのか冬治が独白するけれど、読み手としてはアリスとは「人そのもの」だと思う。より正確には文字通りの意味の他に、アリスを購入した人間そのものといった方がいいのだろうか。そこにはアリスを購入した理由があるのだからその理由によって己の価値が決まるというものだ。アリスは1250万円で販売されているわけだけれど、この値段に対して高いと思うだろうか安いと思うだろうか。そもそもこの感じ方で違いが出るのでしょうが、個人的には「安い」だと思うのです。仮に子供一人を育てあげるのに必要な金額というのを思い描いて欲しいのだけれど、そうしたときに「じゃあどちらがいいですか?」と怖い問いかけをされている気がしたのだ。同時に「だから人間とアリスどこが違うのか?」と問いかけられている気もした。炭素フレームの肉体に書き込まれたソースコードから演算した結果を電気信号として行動に移すアンドロイド。人間だって身体の20%くらいは炭素で出来ているし電気信号で身体を動かしています。思考だって人間と同じように感情を表に出せますし精巧なアリスは人間と見分けがつかないのだから、それはもう線引きがどこにあるのかと。――そんなロボットと人間の物語の基本を押さえて見せつつ、相手の好き嫌いを判別する指標として印象値というものが存在するという設定には「もう人間と同じなのではないか?」と思いました。相手を見たとき・コミュニケーションをとった印象で好きか嫌いか値が設定され、その値は常時上下していくとのことだけれど人間だって同じですよね。第一印象が良い人、徐々に嫌いになった人もいれば反対に徐々に好きになった人もいる。印象値って人間の心そのものな気がします。

 

さて、読み始めの序盤。ロゼという得体の知れないアリスの薄ら寒さにホラー小説でも読んでしまったのか錯覚したのを覚えている。表現される冷たいまなざしに、どこかぎこちなくもとれる親切すぎる対応には少し人間味を見出すことが難しかったからだ。何を考えているのか分からない。意図して怪しい。だからミステリーを基本としながら、ホラー系なのかハートフル系なのか中盤に至ってもそこは読めなかったというのは正直なところだ。そういう意味でも不安定に心を揺さぶられたわけだけれど、描かれる文章は丁寧の一言でとても心地よかった。終盤の悲劇に至ってもその丁寧さが変わらないので、読み終わりの後味が結末と比較して爽やかに収まっている。今なら星海社さんのWEBサイトで無料で読めたりもするので、一度読んでみてはいかがだろうか。

 

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS)

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS)

 

 

長門有希ちゃんの消失 とある一日 (角川スニーカー文庫) [感想]

長門有希ちゃんの消失 とある一日 (角川スニーカー文庫)

 

漫画では読んだこともある「長門有希ちゃんの消失」ですが、今年はアニメが放送されるということで改めて「涼宮ハルヒの憂鬱」を28話と劇場版「涼宮ハルヒの消失」を見ていたりしたわけですが、更に放送直前になり「長門有希ちゃんの消失」がスニーカーから発売されるとのことでしたので、流れに身を任せて購入したしだいとなりました。著者は最近では「GJ部」でお馴染みであろう新木伸先生。同作の4コマ小説形式に則り、本作である「長門有希ちゃんの消失 とある一日」は描かれていくわけですが、期待を裏切らない想像通りの出来栄えです。GJ部」が好きである好感が持てる人は問題なく楽しみながらニマニマして読めることでしょう。漫画版でも描かれているように、長門は小鳥やハムスターといった小動物を彷彿とさせる可愛らしさを持っていますし、朝倉のキョンに対する飄々としたやり取りなどは弟に接するときのそれに見えて何とも微笑ましい。ときたま見せる”あの頃の朝倉さん”が薄ら寒いみたいな「涼宮ハルヒの憂鬱」ありきの表現もこの手のスピンオフ作品の強みだといえるだろう。むしろ「あーそれみたことある」的な既視感を表現せずして「消失」と言えるのかという作品のアンデンティティーに関わる哲学の迷宮に片足を突っ込みつつ、キョンと古泉の無駄会話を思い出すのでした。地球をアイスピックで突いても丁度良い感じには勝ち割れない程度に暖かい日が続いているわけですが、故にキョン君は絶望という名の暗い海へ恐怖という名の奈落の底へ突き落とされることなく――否最初から世界はこうだったのですから不思議なことは起こらないし時間跳躍もしないわけで、そんな長門と朝倉さんとの日常系学園ラブコメが好きな人は手にとって見てはいかがだろうか。もっとも、1時間程度で読めてしまうからコストパフォーマンスはよろしくないのですが。

 

 

絶深海のソラリスII (MF文庫J) [感想]

絶深海のソラリスII (MF文庫J)

 

続編が発売してるじゃないですかヤダー。

第一巻では深海で展開されるパニックホラー に戦々恐々としながら、背中から這い寄ってくるような理不尽さ・不気味さ・気持ち悪さをまざまざと見せ付けられて、止まらない鮮血と悲鳴に主人公のミナトと共に胸を抉られる思いを共有し、心で絶叫しました。どうしてこんなことになってしまったのか。後悔しても始まらないけれど、この惨状は何なのだろうと。個性的で魅力的なキャラクターを創造していくのは難しい作業ですし、ましてや一つの物語を完成させる上でおのずと愛着も湧いてくるはず。だからこそ作品の為に一切の容赦なくその命を刈り取っていく作者は鬼だなと思うと同時に本気なのだなと思ったものでした。作品を構成する上で死が確定しているからこそ、最大限出し惜しみはしない。だからこそ読み終わった時の開放感と絶望感は半端ではなかったし、完成度は一級品だった。そこが今回、満を持して二巻発売だ。

 

読んだ人なら誰もが思うあの絶望感と無力感。僕らは知っているあの深海の恐ろしさ。だから純粋にミナトを応援出来る。流行というかライトノベルのスタンダードに定着して久しい主人公最強設定。意味のある最強設定は許容できるが意味の無い最強設定が多すぎると感じている昨今、本作はそれらとの方向性がちょっと違う。本作のミナトは異能力を持っていて常人に比べて強いけれどけして最強ではない。むしろ敵であるアンダーの方がよっぽど性質が悪く異能力を持っていてやっと善戦出来るといった戦力バランスなものだから、死の匂いが読んでいて伝わってくるのだ。何せ一撃受けただけで人が死ぬのである。「それどんな無理ゲー?」と言われても仕方ない。気合を入れたら勝てるだとか、実は最強能力者でしたということは全くあるわけも無く、ましてや鮮血の色を知っている僕らには生きるという未来に対して安心が出来るわけもない。背中で語るミナトの姿には純粋に頑張れと言いたくなるし、絶望を味わっている彼だからこそ絶対に生きて帰れと言いたくなる。何でも良いから死ぬな。絶対に死ぬな。仲間を守りきれ。恐怖心は犬にでも食わせろ。焦燥感を振り切れ。今度こそ絶対に連れて帰れ。読んでいて一連の思いがアドレナリンと共に一気に噴出したのは、ミナトに幸せになって欲しかったからですし、彼ら彼女らのようにアンダーを生み出した黒幕に対して怒っていたからなのでしょう。生きるか死ぬか。絶望の先にある未来のさらに先には、一体何が待っているのでしょうか。読んだことがない人は是非一巻からから読んでみることをオススメします。

 

――しかしながら、どうやって続けるのかと思っていたのだが、これがまた綺麗に続きを書いてくる。洗練された続編の出し方は、一昔前のライトノベル作品たちを彷彿とさせました。あくまで一巻目は完成度重視の一発物(伏線は張るにしても)。そこから続きを書けるかどうかは作者の腕しだい。続刊前提で書かれる作品が多い中、珍しいですし挑戦している。だからこそ内容も裏切らない。多少、荒削りな場面転換は垣間見えるし癖のある説明口調もありますが文章は読みやすい。表現が的確なのでシームレスに頭が理解して映像まで持っていけるのですよね。また、一巻発売から一年が経過しているわけだけれど、良作品は忘れないから一年後だろうが買いますし、むしろ現実に一年が経過していることで主人公ミナトが絶望から立ち直りかけているという表現がとてもリアルに感じられた。伏線の回収もロマンチックというかヒロインとしてシャロン・ナイトレイを登場させるのだから作者は分かっている。勝気なお姉さんかと思ったら冷静なクールビューティだけれどちょっと天然入ってて、とても可愛いお姉さんでした。

 

ネイビーシールズ」「フルメタル・パニック!」を彷彿とさせるミリタリー要素。「ブラック・ブレット」「エルフェンリート」を思い出させるダークサイドの混沌とした絶望感。「翠星のガルガンティア」のSF海洋要素。思いつくままに列挙したけれど少しでも本作の手がかりになればと思う。

 

では最後に、とりあえずお前らゲイとかバイとかとてもコクサイテキデスネ。イギリス紳士も脱帽だよ。

 

絶深海のソラリスII (MF文庫J)

絶深海のソラリスII (MF文庫J)

 

 

究極残念奥義―賢者無双―~俺が悪いんじゃない、俺のことを無視するおまえらが悪いのだ~ (一迅社文庫) [感想]

究極残念奥義―賢者無双―~俺が悪いんじゃない、俺のことを無視するおまえらが悪いのだ~ (一迅社文庫)

 

全く方向性の違う作品をここまで書けてしまうと、もはや本当に同一人物なのだろうかと疑念が湧き上がってくるわけですが、そういう意味では松山剛先生はとても器用な作家さんなのですよね。電撃文庫では美しくも儚い胸が締め付けられて思わず感涙してしまうような物語を描いているわけですが、そのストレスなのでしょうか……。一迅社文庫さんでは思わず「これはヒドイ!」と言いたくなるような頭のネジが緩んでいるどころかそもそも最初からネジ止めされていなかったようなハイテンションコメディを描いていく。キャラクター重視で美少女たちを好きになれれば楽しく読むことは出来るでしょう。また、文体にしてもユルユルでテンポ感重視。そのせいで説明されてることに再度驚いたりとキャラクターの言動に怪しいところがあるのですが、そもそもが上手い人がフォーマットをわざと変えて書いているので、削りに削っていると読み難い文章も何となく読めてしまう不思議。

 

本作はとにかく「賢者タイム」という一発ネタを思いついてしまったが故に、それを作品にしてしまったのだろうなという遊び心が伝わってきます。それとドラゴンボールへのリスペクト。ネタで動いている作品なので、登場人物の名前やモンスターの名前などとにかく適当でそこに意味はない。分かりやすさ優先なのでそこに理由があるのかもしれませんが物語の進行も詰め込めるだけ詰め込んでいるので中ボスやラスボスが雑魚キャラになっているのはご愛嬌。むしろ、主人公たちはレベル上げを全くせずにレベル1のままモンスターを倒していったので、これぞ縛りプレイの王道「低レベルクリア!」まあ主人公が縛られていたのは強要される自分の性欲処理になのですが――。そんな具合で賢者タイム」をキーワードに終始コミカルで笑いに溢れた作品に仕上がっていました。それとドラゴンボールへのリスペクトね。

 

ただし、本作を純粋にオススメできるのかと言われると否です。同レーベルでは「世紀末救世主伝説」は面白かったけれど、本作の場合には上記から感じ取れるようにまるで己の度量の大きさを試されるがごとく、どこまで作中に溢れるコミカルさと緩さを許せるのかと、キャラクターへの好感をどれだけもてるか好きになれるかというのが面白さの大半を占めている。故にそこが合わなかった自分は作者が松山剛先生でありその作風と刊行された他作品を知っているからこそ読めているというのは正直あります。少なくとも松山剛先生の作品でなければ一度そっと本を閉じて壁に投げつけてから再度読んだことでしょう。乱暴な表現になってしまって申し訳ないのですけれど、そもそも普段は絶対に購入しないタイプの作品なのだから合わないのは当たり前なのですよね。何か悩んでいたり、暗い気持ちのときに読めればスッキリするのかもしれません。