Infinity recollection

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おともだちロボ チョコ (電撃文庫) [感想]

おともだちロボ チョコ (電撃文庫)

 

これまた凄い作品を書いてきたな、けれど消化不良だなというのが正直なところだろうか。入間人間先生の作品は好きなのでよく読みますし、新刊を見つけると買ってしまうので今回もその例に漏れないわけだけれど、あまりにあっさりと終わったので少し拍子抜けでした。アイデアは切れているし素晴らしいものがあるのだけれど、締め切りを守らざるを得ず出した本なのかな?と思う粗さを伴った作品に読めました。アイデア専攻だったのか全て読み終えてみると構成として着地点が見えないのがそう思う理由だろうが、思いつきは魅力的。しかしながら、タイトルから巨大怪獣に対してロボットで戦う話を想像できる人はいるだろうか。最強ロボット「カァールディス」のパイロットとして生み出されたロボット(ややこしい)であるチョコだけれど、外見はただの女の子。このチョコとの交流を描くのが本作だ。

 

驚きなのは「おともだちロボ」といいながら、初っ端から人間を殺しにかかるところだろう。およそ人間的とは言いがたい言動には本当にお友達になりたいと思ってくれているのか読み取れないどころか、とてもじゃないが人間には許容できない価値観を持っているので強烈に彼女が人間ではないのだと思い知らされる。冷酷というか薄情というかシステム的でロジカル的なのですよね。博士は「悪意を持っている人間は友達になる資格はない」と言及するのだけれど、これがかなり核心を突いているように感じた。というのも作中で主人公のトモカが「青になる・青い世界」というキーワードを想起する場面や、博士が怪獣のコア(青い)を所持していたり、そもそもチョコやカァールディスの動力を明言しないまでも怪獣との繋がりを示唆させている。友達だと言ってくるロボットは一体何なのか薄々気づきながらも、どうしても憎めないチョコという存在にトモカは自分に困惑しているし、だからこそ倒すべき敵あるはずの怪獣に対しても特別に憎悪だとか復讐心や敵愾心を持つことが出来ずにいるのだと思う。思えばチョコとの出会いにしても友達候補に選ばれたことについても、怪獣に対して本気の悪意を見出せていないことが理由であるように感じるので、博士の台詞は色々意味深なのだ。また、博士は「人間とは人間こそ至高の存在であると思っている。だからロボットにも人間の価値観を求める」と言うが、これは怪獣にも当てはまるのだろうと思う。つまるところ、怪獣が本当に人間を攻撃しているのかは分からないということだ。目的も分からないのに一方的に攻撃しているのは人間の方だという言い方も出来るが、人間にしても都市を破壊されたり命がかかっているのだから戦うのは仕方ないという言い方が出来る。地球にとっても怪獣と人間はどちらが有害で有益なのか分からない。チョコと友達になるということも意味は、実はとても重いようにも思えるし簡単なようにも思える。単純にロボットとのコミュニケーションするような作品を読みたいなら少し違う系統になるかもしれませんが、不思議な世界であり荒廃した世界で描かれる女の子たちの日常は特殊だけれど、女の子していたように思う。百合とまでは言わないけれどね。

 

作中では回収されない伏線が様々ある。トモカの成績についての説明はとても気になったので読み終わってから考えたのだが、何だろう。トップクラスの能力で役に立たない。トモカらしさ、感受性とか? あとは火星の現状は全く説明されないのだけれど、火星は青い星になっている言及はある。これは怪獣に滅ぼされたと捉えるべきなのかしら? 怪獣は火星から転送されてくるのかしら? 火星移民は本当に火星にいるのか怪しいのです。こういった一連の設定を考えたりするのも著者の作品の楽しさですかね。

 

 

コロシアム (電撃文庫) [感想]

コロシアム (電撃文庫)

 

小学校や中学校のクラス編成では偏りが出ないようにバランスよく生徒を配分するのは良く知られた話だろうと思う。勉強が得意な子、運動が得意な子、クラスをまとめられる子、どんなクラスになったとしても予め生徒がバランスよく配分されているのだからクラスとしての機能を保つことが出来る。中でも最優先でクラスに振り分けられるのは「ピアノを弾くことが出来る子」であり、だからこそ音楽祭や合唱コンクールといった必ずある学校行事でピアノを弾ける子が居ないという事象は発生しない。子供ながらに何で必ずピアノを弾ける子がいるのだろうと疑問に思ったものだったが、大人の事情があることに気づいたのはかなり後になってからだった。本作では、そんなクラス編成の事情がかなり特殊に設定されている。――最優先は「自殺未遂に至ったことがある子」なのだ。何故? それが分かったとき、作品の中から湧き上がってくる生暖かい風に頬を撫でられた気がして、急に学校という閉鎖空間の気持ち悪さに思い至り真実に気づくことになる。最優先にクラスに割り振られるのは「ピアノを弾くことが出来る子」、けれどここでは「自殺未遂に至ったことがある子」が優先されている節がある。じゃあ一体僕らに何をやらせたいのだ。君なら表紙の登場人物たちの内、誰とコミュニケーションをとるだろうか。ランダムに決めるのも良いだろう。ならシリンダーを回してみようじゃないか。ロシアンルーレットのように。

 

原点回帰と銘打っているだけに土橋真二郎イズム全開でした。徐々にモラルが欠如していく世界。ヒロインをサポートしてフォローする主人公。自動販売機で売られるペットボトル水とビスケットのバランス栄養食。拳銃と弾丸とレーダー。コミュニケーションと言葉というキーワード。土橋真二郎先生の作品が好きな人間なら思わず「ああ」と納得してしまう単語から放たれる物語は、悪意に満ちたモラルが欠如した世界でありながらも美しく神秘的に映ります。感じ取るべき部分は「扉の外」や「ツァラトゥストラへの階段」から変わりないのですが、本作の方がより悪意と感情が直接的に描かれていくのでゲーム性よりは人間性を訴えてきていたように思います。故に、熱気を飲み込みすぎて胸焼けしたのは本作の方が強烈であり、対ストレス性を試されているような不快感と気持ち悪さに襲われる。これが薄ら寒さとかホラーの方面に昇華されればよいが、されない場合にはただただ不快な思いをすることになるだろうことは注意したい。

 

また、現代らしくスマートフォンをコミュニケーションツールとして作中に登場させているのだけれど、これがまた悪意をもって描かれているものだから怖い怖い。流れていく会話にどんな意味があるのか。時間の無駄だという表現を主人公はするけれど、まさに一理あって。大学のサークルとかはその例に漏れない気がします。色々と時間の無駄を感じるのですよね。もっとも現実はここまで極端ではないと信じたいし、少なくとも周囲ではそんなことはなかったように思う。「……あれ?知らないだけ?」加えて興味深かったのは、終盤に近づくにつれて公開される世界のあり方だろう。主人公たちが当たり前だと思っていることなので詳細に説明されなかっただけで、近未来的なその世界には読んでいて恐怖した。最後まで読んでみて一番恐ろしかったのは人間やら感情やらではなく世界だった。現実の学校という舞台から「閉鎖された特殊な空間」をキーワードに再構成された舞台は、エリート養成学校の皮を被った監獄でしかなかった。

 

恐らくはシリーズ物だろうから二巻が発売するのだろうが、第一次サバイバルは意味がないことが判明したところで大掛かりにどう舞台を動かしてくるのかは、とても楽しみ。

 

コロシアム (電撃文庫)
 

 

東京侵域:クローズドエデン 01.Enemy of Mankind (上) (角川スニーカー文庫) [感想]

東京侵域:クローズドエデン 01.Enemy of Mankind (上) (角川スニーカー文庫)

 

絶望で彩られた世界の中で、希望となるボーイミーツガールを描く。「消閑の挑戦者」や「ムシウタ」でお馴染みの岩井恭平先生の新作。突如として人類の敵が現れたことで東京は侵入不可能の怪物たちの世界となってしまう。主人公は東京に閉じ込められた幼馴染を救い出すべく隔絶された世界への侵入を試みるけれど、その中にあったのは荒廃した東京と人類の敵であるEOMの姿だった――というのがあらすじでしょうか。「黒の契約者」や「ラーゼフォン」や「ペルソナ」が一番最初に思い浮かんだのですが、とにかく物語がゲーム的であり、ダークネスな雰囲気が肌にまとわりついてきます。ショットと呼ばれるアイテムを使うことで、エリア内でのみ特殊能力を発動できるだとか、ショットはEOMがボスキャラだとすると雑魚キャラになる敵が落とすだとかはまさにそうだろうし、エリア内ではそれら人類の敵が動き回っているので遭遇してしまったら戦闘になるみたいなところも。ただ、ダークだ絶望だと言っているのはEOMがまさしく人類の敵に相応しいほどに強いからだ。それこそ、エンカウントしてしまったら死が確定されているほどに強い。一応は弱点や特性があることは見受けられるのだけれど、特殊能力を使おうが何しようが全く倒される気配がない。逆に主人公たちは修復ショットがなければ何回殺されているか分からないし、事実作中では脇役の脇役ではあっても数多くの人が死んでいく。出会ったら死を覚悟させるし倒せる気配のないEOMという存在。「モンスターハンター」だと複数同時討伐クエストなんてものがありますが、一撃でライフ根こそぎ持っていかれるドラゴンがそこらじゅうを歩いていて、出会ったら追いかけられるし攻撃しても倒れる気配はなく回復できるのは3回だけみたいな無理ゲーを強いられている気がしました。そういう意味でも東京は絶望の世界だけれど、主人公たちは各々の目的のために絶望の世界の中から一握りの希望を取り戻すために戦う姿は格好良い。

 

主人公側にも色々な制約を課していたりするところは「ムシウタ」ですし、EOMにも特性を設けているところから活路を見出そうとする部分は「消閑の挑戦者」を髣髴とさせて著者らしい作風になっている。同時に、本作が上巻であることを鑑みても世界観と設定がしっかりと作りこまれていることが自然と伝わってきました。何故、主人公たちがエリアに侵入しようとするのか、そうさせる理由をキャラクターの内面を掘り下げながら描くので、生い立ちから人格形成まで納得しながら読めるのは大きい。小説を読んでいると、ときたま主人公の言動が意味不明で理解不能かつ難解である作品が見受けられるけれど、本作の主人公の言動には一定の重みがある。それはしっかりと人物を描いてくれているからだろうと思う。また、世界観についても歴史を勉強するように過去を何度も描写することで読み手に作中での日本の現状を想像させようとしているのが伝わってくるし、それを考えると数年前なら発売できたか怪しい作品だとも思うので様々考えされる作品でもありますね。

 

学生が学生の領分で必死に頑張れる範囲を超えてしまうことはあるけれど、そこは大人の領域なのかもしれないけれど、学生や子供にだって意地と覚悟はあるのだし命よりも大切なものがある。世界観は暗黒然としてますが青春の青さを感じ取れる作品に仕上がっているし、基本となるのはボーイミーツガールなのですよね。

また、キャラクターとして主人公の兄が登場するのだけれど、主人公は己の力のみに頼るしかない学生なのでエリアへの侵入などアンダーグラウンドな方向を模索していくが、兄は政府機関に就職するという正攻法で状況を打開しようとしますし内情を探ろうとする切れ者。この二人の対比についても軸としながら物語が進むので、レイダーサイドと救務庁サイドと表裏一体となっているのがこれまた読み応えがあって面白い。楽しみにシリーズになりそうですし、上下巻構成だということからも出版社の本気度合いを感じることが出来ますね。

 

 

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS) [感想]

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS)

 

高性能アンドロイド・アリスが普及した未来。人間とロボットとの交流を描いていく作品なわけだけれど、語られた物語はタイトルの通りに終盤になるまで真相を分からせない丁寧な作りで優しくて儚い悲劇となっている。愚者とは果たして誰を指した言葉なのだろうか。冬治のことだろうか、ロザのことだろうか、あきらのことだろうか。はたまた人間のことだろうか、アリスのことだろうか。ジグソーパズルの全ての欠片をそろえ終わったときの達成感はときに絶望感と似ている。本作も全ての欠片をそろえ終わったとき、後悔と寂寥感に満ち満ちて知らずにいた方がきっと幸せだったろうと思うことだろう。その行いはまさしく愚者だった。けれどそれは知るべきことであり、心が締め付けられても後悔することは分かっていても愚者であり続けて感じ取るべきものだった。

 

作中でアリスとは何なのか冬治が独白するけれど、読み手としてはアリスとは「人そのもの」だと思う。より正確には文字通りの意味の他に、アリスを購入した人間そのものといった方がいいのだろうか。そこにはアリスを購入した理由があるのだからその理由によって己の価値が決まるというものだ。アリスは1250万円で販売されているわけだけれど、この値段に対して高いと思うだろうか安いと思うだろうか。そもそもこの感じ方で違いが出るのでしょうが、個人的には「安い」だと思うのです。仮に子供一人を育てあげるのに必要な金額というのを思い描いて欲しいのだけれど、そうしたときに「じゃあどちらがいいですか?」と怖い問いかけをされている気がしたのだ。同時に「だから人間とアリスどこが違うのか?」と問いかけられている気もした。炭素フレームの肉体に書き込まれたソースコードから演算した結果を電気信号として行動に移すアンドロイド。人間だって身体の20%くらいは炭素で出来ているし電気信号で身体を動かしています。思考だって人間と同じように感情を表に出せますし精巧なアリスは人間と見分けがつかないのだから、それはもう線引きがどこにあるのかと。――そんなロボットと人間の物語の基本を押さえて見せつつ、相手の好き嫌いを判別する指標として印象値というものが存在するという設定には「もう人間と同じなのではないか?」と思いました。相手を見たとき・コミュニケーションをとった印象で好きか嫌いか値が設定され、その値は常時上下していくとのことだけれど人間だって同じですよね。第一印象が良い人、徐々に嫌いになった人もいれば反対に徐々に好きになった人もいる。印象値って人間の心そのものな気がします。

 

さて、読み始めの序盤。ロゼという得体の知れないアリスの薄ら寒さにホラー小説でも読んでしまったのか錯覚したのを覚えている。表現される冷たいまなざしに、どこかぎこちなくもとれる親切すぎる対応には少し人間味を見出すことが難しかったからだ。何を考えているのか分からない。意図して怪しい。だからミステリーを基本としながら、ホラー系なのかハートフル系なのか中盤に至ってもそこは読めなかったというのは正直なところだ。そういう意味でも不安定に心を揺さぶられたわけだけれど、描かれる文章は丁寧の一言でとても心地よかった。終盤の悲劇に至ってもその丁寧さが変わらないので、読み終わりの後味が結末と比較して爽やかに収まっている。今なら星海社さんのWEBサイトで無料で読めたりもするので、一度読んでみてはいかがだろうか。

 

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS)

アリス・エクス・マキナ 01 愚者たちのマドリガル (星海社FICTIONS)

 

 

長門有希ちゃんの消失 とある一日 (角川スニーカー文庫) [感想]

長門有希ちゃんの消失 とある一日 (角川スニーカー文庫)

 

漫画では読んだこともある「長門有希ちゃんの消失」ですが、今年はアニメが放送されるということで改めて「涼宮ハルヒの憂鬱」を28話と劇場版「涼宮ハルヒの消失」を見ていたりしたわけですが、更に放送直前になり「長門有希ちゃんの消失」がスニーカーから発売されるとのことでしたので、流れに身を任せて購入したしだいとなりました。著者は最近では「GJ部」でお馴染みであろう新木伸先生。同作の4コマ小説形式に則り、本作である「長門有希ちゃんの消失 とある一日」は描かれていくわけですが、期待を裏切らない想像通りの出来栄えです。GJ部」が好きである好感が持てる人は問題なく楽しみながらニマニマして読めることでしょう。漫画版でも描かれているように、長門は小鳥やハムスターといった小動物を彷彿とさせる可愛らしさを持っていますし、朝倉のキョンに対する飄々としたやり取りなどは弟に接するときのそれに見えて何とも微笑ましい。ときたま見せる”あの頃の朝倉さん”が薄ら寒いみたいな「涼宮ハルヒの憂鬱」ありきの表現もこの手のスピンオフ作品の強みだといえるだろう。むしろ「あーそれみたことある」的な既視感を表現せずして「消失」と言えるのかという作品のアンデンティティーに関わる哲学の迷宮に片足を突っ込みつつ、キョンと古泉の無駄会話を思い出すのでした。地球をアイスピックで突いても丁度良い感じには勝ち割れない程度に暖かい日が続いているわけですが、故にキョン君は絶望という名の暗い海へ恐怖という名の奈落の底へ突き落とされることなく――否最初から世界はこうだったのですから不思議なことは起こらないし時間跳躍もしないわけで、そんな長門と朝倉さんとの日常系学園ラブコメが好きな人は手にとって見てはいかがだろうか。もっとも、1時間程度で読めてしまうからコストパフォーマンスはよろしくないのですが。