Infinity recollection

ライトノベルを中心に感想を載せているサイト。リンク+アンリンクフリー。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6 (ガガガ文庫) [感想]

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6 (ガガガ文庫)

 

これは凄い。卑屈で皮肉な八幡の思考形態をもって、弛んでなめ腐った文化祭実行委員会をぶっ破壊して創造し直した。目の覚めるような口撃は、鬱憤の溜まりきった読み手に爽快感と達成感を与えてくれる。しかしながら、その方法と周囲の反応は気持ち悪く、醜悪であると表現できる。

 

後味が良いのか後味が悪いのか。

 

文化祭の実行委員を押し付けられた八幡が、嫌々ながら同じく実行委員だった雪ノ下と仕事を頑張る話。最初は実行委員一丸となって文化祭の為に仕事をするのだが、あるときから副委員長の雪ノ下を初めとした真面目な学生や八幡のようなカースト底辺の学生しか仕事をしない組織に――文化祭当日が差し迫る中、仕事をする人数は減り続け、仕事をする人間は激務を押し付けられ割を食うという理不尽が構築されていた。

 

ぼっちの本気とは。

 

破綻してからでは遅いのに、気付いていても気付いていないフリをする。危うくなってから慌てて手伝ってやり遂げた感覚に浸ることは結構だけれど、間に合わなかったら意味ないし、それではギリギリまで頑張っていた奴らが全く考慮されていない。自己満足でしかない。そんな腸煮えくり返る気持ちを八幡が「人」に例えて爆発させてくれた。きっと誰もが思ってる。けれどはっきり言えない、だって行動後の結末が見えてるから。

 

葉山と八幡。

 

この二人の対比が特に面白かった。リア充とぼっち、対極にある二人のはずなのに、どちらも人の心を感じて受け取ることに優れた人間なのだ。ただ、出力形態が異なるだけ。葉山はよりポジティブに、自分を殺して相手に合わせて喜ばせることが出来る。八幡はよりネガティブに、己を貫いて物事の本質をはっきり名言してしまう。

 

表裏一体ではないけれど、立ち位置を間違えなければ八幡だって葉山になれるし、葉山も八幡になれてしまう。そんな二人だからこそ、今回の話では対立したのだろうし、葉山は八幡の心が理解できたから苛立ってしまう。どうしてそういうことしかできないのか――自らを傷つけ続ける八幡に向ける瞳は悲しかった。

 

面白かったです。これでついに本物のぼっちになってしまった八幡なので、より過酷な学生生活が待っていると思うのだが、その辺りをどう描いてくるのだろう。葉山とかが仲間になってくれれば嬉しいな、救われる。

 

 Presented by Minai.

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。6 (ガガガ文庫)