思春期テレパス (メディアワークス文庫) [感想]
心をグサグサと抉ってくるのがたまらない。学生諸君が抱えている友情だとか恋だとかの悩みのモヤモヤ感を、これでもかと眼前に突きつけられて思わず読んでる方が恥ずかしくなったり目を背けたくなる感じ――でもちょっと見てみたい、みたいな。天沢夏月氏が描く青春模様はいつものように繊細で肌をざわつかせます。
本音という奴はいい加減に厄介で、大人になるということは建前と本音を使い分けて生きていくということでもあり、それは嘘を吐くということでもあります。学や翼や大地は子供から大人への階段を上っている最中の高校生で、彼らだって嘘は吐きますし、その行為の意味が理解できないわけではない。――でもいつから建前と本音を使い分けるようになったのか。相手に少しでも良く思われたいから? 嫌われたくないから? 本音メールは強制的に自分の本音を知らせてしまうし相手の本音も知ってしまうことになるのだけれど、別にその本音は知りたかったことではないのですよね。確かに学も翼も大地も「本音が知りたい」と空メールを返信したけれど、遊びの延長線上でどうやっても相手の本音が知りたかったわけではないですし、友達のことは何でも知っているはなのだから必要は無いと考えたはず。この辺りはとても羨ましくて、学生時代の友人というのはそれこそ何年も同じ世界で生きているわけだから何でも知りえているわけです。建前もあるかもしれないけど限りなく本音に近いところで生きているはずで、趣味趣向から性格や癖もどうでもいいことまで知っている。作中での大地の好き嫌いや学の目を逸らす癖などはそうですよね。色々と知っているから友達付き合いだって気が合う友達としか付き合いませんし、自然と同じような価値観でグループになっていたりします。それが学、翼、大地。出会い方も本当に小学生みたいで、夏の匂いがしてきそうで頬がむず痒くなりました。
そんな彼らが疑心暗鬼というか、相手の考えていることが本音メールで分かるせいで己の中の想像と不安に振り回されていく様は高校生らしく青春で、その蒼さには道を教えてあげたくなるもどかしさが渦巻く。本音メールの取り消しなんて文言が飛び出してきたときには胃に鉛球を詰め込まれたみたいな気分になりました。この辺りの按配というか構成の仕方は見事で、読んでいて飽きさせない。
中でも好きなのは夜子で展開させる様々なパターン。彼女は脇役だけれど重要な役割を持っていて本音メールの被害者でもあるのだけれど、その影響から上手く人と話せないですし意図的に友達を作らないように振舞う。行動からは本音を探ることが出来ないという分かりやすい指針になっていると共に、本音メールでしか本音が分からない彼女からはツンデレ的な可愛らしさを彷彿とさせられるので本音メールの善の要素も兼ね備えているように序盤は見える。学とのやり取りを見ている限り、夜子と学でラブコメが一本出来ちゃう具合なので、広げていれば身悶えするような破壊力あるラブコメになったはず(物語が変わっちゃうよ?)。そこから中盤と終盤にかけて本音メールは本当に本音なのか建前とは何なのかを突きつけると同時に、友達とのコミュニケーションを考えさせるトリガーに夜子を据えている。これが綺麗。
作中では所謂ガラケー、フィーチャーフォンの全盛期時代のように見えるのだけれど(これがスマートフォンなら少し違うのかしら)、学生だからこそ出来る「会って話す――会話する」ことの大切さを不器用に躓きながらも翻弄されながらも問いかけてくるのには、青春しているなと妙に納得している自分がいた。メールやSNSやメッセンジャーアプリを使ってしまうと、どうしても分かってるだろとか思い込みしがちですが、本当はその一言「分かってるよね」を顔を突き合わせて言ってあげればいいだけなのですよね。ましてや学生の間はずっと一緒なのですから、気持ちを伝え合えばいい。例え離れ離れになっても学や翼が大地を迎えに行ったように行動しだいですよね。「これからは、もっとちゃんと話そう」そういう意味でも高校生は本音を言い合うことが許されたネバーランド最後の住人なのかもしれません。キラキラしていて、眩しいです。